
すい臓がんと闘っている方のために、父のすい臓がん闘病の記録をこのページに残しておこうと思います。
前提として、父は次男と同居。長女は知識が全くないが口だけは出したいタイプ。長男夫婦は妻である私の親がガンサバイバーだったため、ステージ4の親を5年以上生かした実績あり。そのため義父の命を最大限に伸ばす計画を立てていた。
2024年12月03日:【検査入院】
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2024年12月09日:すい臓がんが肺と肝臓に転移しており、抗がん剤なしで半年、抗がん剤ありで半年から2年の余命宣告を受ける。私達夫婦は、即座に要介護認定の問い合わせを市役所と病院に行うが、長女が要介護認定に猛反対し、義父も長女の顔色をうかがい、要介護認定が進まず。
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2024年12月10日:自立歩行可能なため、自宅療養決定。抗がん剤は3週間に1回48時間投与予定。胸の上部にCVポートの設置が必要で、ポート設置の簡単な手術を行う。
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2024年12月某日:CVポート設置後【検査入院退院】
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2024年12月23日:【抗がん剤投与練習入院】抗がん剤投与後、ポートから自動的に抗がん剤が入るため帰宅可能だが、本人が不安とのため、1回目の抗がん剤投与は入院で様子を見る。抗がん剤投与時間は48時間。
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2024年12月29日:【抗がん剤投与練習入院】退院
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2025年01月14日:通院にて抗がん剤投与(特に副作用は感じないとのこと。)
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2025年02月03日:2回目の抗がん剤投与(食欲がないと訴える。父が自分で車で運転して通院するというが長女が猛反対し、抗がん剤投与日前日は我が家に宿泊し、我が家から車で送るように長女から指令が出る。)
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2025年02月25日:3回目の抗がん剤投与(食欲がない、眠気がひどいと訴える。隠れて、ぐったりし始める。)
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2025年03月18日:4回目の抗がん剤投与
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2025年04月08日:5回目の抗がん剤投与
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2025年05月13日:6回目の抗がん剤投与(体が弱ってきたので、我が家を通しての通院はしんどいと、我が家に来ることを断られる。本当はタクシーで通院したがっていたが、長女の顔色をうかがって、体調不良をおして我が家に前乗りで泊まりに来てくれていた模様。)
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2025年05月23日:通院日ではないものの、具合が悪いので車で病院に連れて行ってほしいと連絡あり。要介護認定がなくケアマネもヘルパーもつけていなかったため、また同居の次男も食事を用意してくれないため、2~3日飲まず食わずでいたとのこと。車のトランクを開けられないくらい弱っており、歩くのもままならず、院内では車いすを利用する。結果としては、脱水症状と見られ、経口補水液を買って、義父に飲むように伝える。
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2025年05月25日:義父は、がん患者が病院に行けば即座に入院できると思い込んでいた模様。だが実際には、日本中にガン患者はたくさん存在し全ては順番待ちなのが現実。それでも、本人が強く入院を希望したため、私が医師と交渉し、即日入院。(父は弱音を言わないタイプですが、入院を強く希望した時点で、相当、つらい、苦しい症状があった模様。)
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2025年05月29日:私達夫婦は長女が反対しているため義父が要介護認定を受けられないと市役所に相談していたが、市役所側から義父を心配して、「お父様の状況なら、早く要介護認定を受けてほしい。」と、私達夫婦に連絡が入る。
義父に「市役所が要介護を急かしている。」と伝えると、病院にも要介護認定の必要性を確認したらしく、医師に「要介護認定は必須なので、早め早めに手続きをしてください。」と怒られたことを連絡してくる。義父がやっと義姉の顔色をうかがうのをやめて、介護認定を受けることを決意。
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2025年06月某日:私達夫婦が市役所に要介護の申請に行く。市役所が素早く動いてくれて、即座に要介護認定を受けられるも、手遅れ。足腰が立たなくなり、入院継続。
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2025年06月07日:見舞いに行くと、もう抗がん剤治療はやめたとのこと。長男夫婦の私達が見舞いに行ったが、長男の妻と次男が二人で見舞いに来たと勘違いする。私達夫婦は、義父の認知症を疑い始める。
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2025年06月10日:義父からLINEで、急に意味不明の「病院への不信感」と見られる文章が送信されてくる。義父が正気なのか確認するため病院に電話すると、「せん妄(妄想)」の症状が出ているとのこと。
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2025年06月21日:死去
所感
義父は次男と同居していたため、ステージ4のガンになったら次男が食事くらいは用意するものと思っていました。ですが、義父いわく「次男は気がきかないから、ご飯を買ってきてと言えば買ってきてくれるが、言わないと何もしてくれない。」とのこと。
そして、飲まず食わずで数日過ごし、症状を極端に悪化させることになりました。
さらに、義父が「狂気の沙汰」と言及した長女に至っては、正しい医療知識を調べることもなく、長男の妻である私が先に要介護認定に動いたことが気にくわず、頑なに要介護認定を拒否しました。そして、ケアマネもヘルパーもつかず、飲まず食わずを放置する状況ができあがってしまいました。
また、義父は体がつらいのでタクシーで通院したいと私達夫婦には言っていましたが、長女が義父に「長男夫婦の家に前乗りして車で送ってもらえ」と命令したために、義父は長女を怒らせないために、無理をして私達長男夫婦の家に泊まりにきてくれていました。
私達夫婦は、両親の介護のためにバリアフリーのマンションに居住しているため、義父に同居を申し出ました。ですが、「迷惑をかけたくない。」と辞退されました。
い
長男は、次男、長女の計画性のなさ、医療知識のなさに不快感を示していました。また、ガン患者である実母を5年以上生かした妻の知識や意見をなぜ素直に聞き入れないのかと、悲しそうにしていました。
医師の見立てでは、余命6か月~2年というお話でしたが、要介護認定も受けられず、同居人がいるにも関わらず介助や介護、食事の提供すら受けられなかったことが命を縮めたケースだったと思います。
長男夫婦、つまり私達夫婦のバリアフリーの家に来て、せめてご飯の用意くらいはしてもらう、または自宅にどうしてもいたいなら、要介護認定を受けてヘルパーにご飯を用意してもらえば、もっと長生きをできたものを…と悔やまれます。
まとめ
私の実母は、ステージ4の乳がんで骨転移・多臓器転移もしており手術もできない、5年生存率は10~20%の状態でした。さらにはステージ4の大腸がんも併発しており、生存率はさらに低い状態でした。
それでも、5年以上実母が生きられたのは早期に要介護認定を受け、ヘルパーさんやご近所さんと楽しいおしゃべりをし、よく笑い、良い物を食べ、自立した生活していたからだと思います。
みなさんも、ご自身やご家族が病気になったら、パニックや感情的にならず、病院や介護は全て順番待ち、全て先手先手を打っていくことが大切。より多くの人の命を守るのは標準治療であることを認識しておいていただきたいです。
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